温泉街風俗とエロの歴史

激動の時代だった昭和、エロの歴史にも色々と変化が見られた。今の風俗事情に通じるエロの歴史をいくつか取り上げて紹介していく。温泉街風俗を利用するときは、そういった歴史を感じながら楽しむのも良いだろう。

・売春防止法の制定とソープランドの誕生

昭和31年に売春防止法が制定されましたが、これは日本のエロ史にとって非常に大きなものであったと思います。効力自体はさほど強くない法律でしたが、今まで国が売春を認めてきたところに「売春=犯罪」と位置づけたことで、人権的な側面から大きな変化をもたらした。

第二次世界大戦以後、日本政府が軍兵士のために作った慰安所(RAA)が廃止されたことで、公娼というシステムは壊れた。ここで働いていた女性たちが働いていけるように、ソープランドというものが作られ始めた。

昭和26年に初のトルコ風呂のある「東京温泉」が東銀座にできる。個室で600円。内容は今のような性的サービスとは違い健全なマッサージであった可能性は高いが、これがソープランドの始まりである。

・ストリップ劇場

昭和のエロ歴史に欠かせないのがストリップ劇場であろう。

ストリップとは舞台で女性ダンサーが音楽に合わせて服を脱いでいき、それを鑑賞する風俗店。都市にかぎらず地方の温泉場まで数多くあり、古くからの大衆娯楽施設だった。

1947年に新宿に「名画アルバム」という催し物として始まった。当時はGHQの監視が厳しかったため、女性は裸のまま動くことなく「額縁ショー」と言われていた。その後規制が緩和されて行水ショーなどの工夫が行われ、1948年に浅草で踊りの入ったストリップショーが初めて開催された。それから全国的な広がりを見せて大衆娯楽へと浸透していったのである。

劇場の幕間にはコントが渥美清やビートたけしなどの喜劇人がコントを行ったりして人気を博した。70年頃からはショー中に本番行為を見せるなど段々と内容がエスカレートしていき、1985年の風営法の施行後は警察による取り締まり強化によってストリップ劇場が激減していった。

料金は3000~5000円。学割やシルバー割引などのサービスもあり、時間制限はないので一度入場すれば閉館時間まで楽しむことができる。多くの劇場では踊り子が踊った後にポラロイドショーと呼ばれる写真撮影会が行われ、1枚500~1000円の料金で観客が指定したポーズで劇場が用意したインスタントカメラで撮影ができるサービスがある。

・ピンク映画

1950年頃にテレビの普及によって映画人気が下がることを恐れてお色気をテーマにした短編・中編映画を制作したのが原点で、今ほどの過激な性描写ほとんどなかった。

日本で初めてピンク映画を作ったのは東映だった。海外の雑誌から「ポルノグラフィ」という言葉を見つけだし、当時16歳だった池玲子という女優を売り出すために模索した結果「日本初のポルノ女優」というキャッチコピーをつけ、全国的に「ポルノ」という言葉が広まった。それから日活もポルノ映画を制作し、「日活ロマンポルノ」という言葉を作って「団地妻昼下がりの情事」などのヒット作品を生み出した。

1980年代前半がピンク映画の最盛期で、各社でピンク映画が発表される中でゲイ・ポルノなども制作されるようになった。1980年後半にはアダルトビデオに市場を奪われて衰退し、映画業界の自主規制によってメジャー制作会社は次々とピンク映画から撤退していった。1990年頃にはロマンポルノの撤退も含めて市場が縮小していき、ほとんど見られなくなっていった。

21世紀に入ると映画もデジタル化が進み、デジタル映像によるピンク映画の存続を図ろうとしている制作会社もある。

今ではAVも様々な種類があり、ドラマ風のAVもあるくらいなので、ピンク映画がどのような位置づけで存続していくかも動向が注目されるところである。

ここで書いたことは温泉街風俗にも関連することなので、知っておくことでより楽しくなるだろう。

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